日本記録名
日本で初めての国産腕時計
日本記録保持者名
セイコー製ローレル
日本記録数値
1913年
日本記録名(英語)
First domestically produced wristwatch
日本記録保持者名(英語)
Laurel
(参考情報)当時日本で懐中時計の量産化に成功し製造・販売を継続していたメーカーは精工舎だけだったので、小型の懐中時計ローレルとムーブメント・外装を兼用化することで、日本で腕時計ローレルを製品化できたのです。当時は、一部の軍人だけが、腕時計の存在を知っていた程度でしたが、セイコーの創業者服部金太郎は、近い将来、日本にも腕時計の時代が来ることを予見して、いち早い開発を行いました。その後、セイコーは1923年の関東大震災による大困難を乗り越えて、1924年以降、本格的な腕時計の量産化を図っていきます。1957年時点でも日本の腕時計市場ではスイス製品が幅を利かせ、スイス時計は年間で約200万個程度が流入していたが、そのうち正規ルートで輸入されたのは30万個程度であとの大部分は密輸入だったという。それでも1950年代以降、日本の腕時計の技術は着実に進歩して国内の廉価帯市場では輸入品を圧するようになり、1960年代以降はカメラと並ぶ主要な輸出商品となった。1964年には東京オリンピックの公式計時機器として海外メーカーを抑えセイコーが採用された。