日本記録名
日本で初めての国産白熱電球を量産した技術者
日本記録保持者名
藤岡市助
日本記録数値
1896年
日本記録名(英語)
First engineer who mass-produced domestically produced incandescent light bulb
日本記録保持者名(英語)
Ichisuke Fujioka
日本の「電力の父」、また「電球の父」と称される藤岡市助は、1890年(明治23年)に白熱舎(後の東京電気、現在の東芝の一部)を設立し、日本初の国産白熱電球の量産化を成し遂げた技術者である。彼は米国でエジソンと面会し、その技術と事業思想に深く感銘を受け、日本の電灯事業の発展に生涯を捧げた。当初は輸入に頼っていた電球を、竹をフィラメントに用いるなどの研究を重ねて国産化し、安価で良質な製品を市場に供給した。彼の功績により電灯は一般家庭にも普及し始め、日本の近代的な生活の基盤を築いた。彼の事業は、日本の製造業の発展における日本初の大きな成功事例である。